3月11日まで、3月11日から。 

3.11から今までの心の移ろい

小野一穂(シンガーソングライター)
 
 
3.11の午後。僕は横浜の繁華街にいた。
ちょっと尋常じゃない揺れを感じて外に出ると、
ビルが軒並みグニャグニャと曲がり中からアリの巣をつついたように人が出てきた。
ご飯を注文したままの人、パーマ中の人、靴を履いていない人。
繋がらない携帯電話を握り締め、正しい情報と安心を誰もが求めていた。
 
都市部では交通が麻痺した為、どんな細道でもぎっしりと車が詰まった。
時間帯にかかわらず大勢の人々が通勤の為、帰宅の為、徒歩で移動した。
阪神大震災の時の映像を思い出した。スーツで線路を歩く行列。
これは大変なことが起きたなと思う中、
デマや推測も含めて本当に深刻な状況であるという情報がどんどん耳に入ってきた。
とにかく皆、怯えていた。
津波のことを知り、原発の事を知り、
部分的にでも日本の各所の有様を垣間見てただの地震ではなかった事を知る。
 
音楽シーンでは、震災以降のライブが軒並み中止になりチャリティーイベントが乱立した。
「こんな時ですが」等と前置きしつつ「みんな大丈夫か。頑張れ!」の精神で無呼吸運転の日々。
でもアーティストもやっぱり不安でぽっかり空虚な日々が続き、悲惨なニュースも続く。
誰もがこの件は長期戦だということに気づき、
人生の節目の春、大きな転機を決断する人が増える。
 
転居、暴力、転職、継続、期待、放心、結婚、別居、出産、葬儀、忘却、変身、信頼、恋愛……。
 
災害が起こしたあまたある影響の中に、人生にとって良かった事も有ると僕は信じたい。
 
 
個人的なことを書くと、今年は2月くらいからほぼ毎月のペースで東北地方にライブで伺っていて、
現地の方々と触れ合う機会に恵まれました。
何も悪い事をしていない「ただそこにいただけ」の人たちが家や家族を失い、将来に怯えている。
それでも外では友達を気遣い笑顔で働く、そんな人々にたくさん会いました。
 
瀕死の人間を音楽で救うことは出来ません。音楽は娯楽で嗜好品です。
でも娯楽にしか出来ないことがあって、
大きく開いた心の穴を一瞬でも埋めることは出来ると思います。
穴が大きい人ほど自分で歩く力が弱まっていると思うので娯楽は貴重です。
音楽に限らず、様々な職種やシュチュエーションの中から
「長期で提供し続けられるスタイル」というムーブメントが提唱されている今の日本。
 
悪くない、と思えます。
楽観的に受け取られてしまうかもしれませんがこれが日本じゃなかったら、
もっと酷い惨状だったかもしれません。
体力とアイデアの残っている人間が率先して近くの人間を助ける。
そんな優しい気性の日本人に産まれた事を誇りに思います。
日本はまだ大ケガをしたままで自力で歩けません。
僕は日本人だがまだ歩ける。
 
「好きなものを守る」
 
この気持ちだけはずっと忘れたくないんです。
 
(2011.08.30 寄稿)
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